1894年にアンドリュー・テイラー・スティルによって創始された医学体系
オステオパシーの言葉の意味はギリシャ語の「オステ(骨)とパソス(病気)」という2つの言葉から作られた造語ですが、「骨の病気」を意味するのではなく、「骨の性質を利用した治療法」です。
当時、A.T.Stillは、3人の子供を髄膜炎で亡くし、医師でありながら子供達を救えなかった事から当時の医療に疑問を感じました。同じ病気で手厚い看護と医療を受けたにもかかわらず落命する者がいる一方、医療どころか看護すら受けられなかったのに回復する人がいる事実に疑問を抱きました。その結果「病気は身体のどこかに生じた不具合に起因するのではないか」と考えました。
そこで関節の痛みや内臓の異状を訴える患者を丹念に調べてみると、必ずどこかに正常な働きをしていない関節があることに気付きました。その後、研究を重ね関節を正常な位置に戻す方法を考案し患者に施すと、痛みにだけでなく内臓疾患や伝染性疾患にまで驚く程効果がありました。
自信を得たA.T.Stillは、薬は毒であると考え、自分の患者にも全くと言える程薬を出さなくなり、患者や同僚の医師から異端児扱いされ、その結果医学界から追放されました。それにもかかわらず、自らの信念を貫き、オステオパシーを広めるために治療をしながら全米を回り、最終的にミズリー州カークスビルの地に落ち着きました。そこには全米中から彼の治療を求めて患者が集まり、この辺境の地にホテルや食堂ができるまでになったのです。1892年には全米初のカークビル・オステオパシー医科大学も設立されました。現在オステオパシーはアメリカでは医学として公認され医師としてすべての医療行為が許されています。
その後、オステオパシーの医療としての効果の高さから、1896年アメリカ・バーモント州においてオステオパシーが初めて医療業務として認可され、1973年には全米50州でオステオパシーが医学として公認されました。これにより、アメリカではオステオパシー・ドクターはD.O.(Doctor of Osteopathic Medicine)※と呼ばれ、いわゆる医師(M.D.)と同等の地位を得て、投薬や手術などの医療業務を行う事が可能になりました。
オステオパシーがなぜ効果を出せるのか??
~概念(考え方)について~
1.身体はひとつのユニットであり、身体の諸器官や組織、心及び精神は互いに関連して機能している
オステオパシーでは身体全体を一つの繋がったシステムとして捉え、筋骨格系だけでなく、臓器、神経、血管、免疫系などあらゆる系や器官を調べ、原因を探り出し施術していきます。また、一人も人間とは三位一体(身体-心-精神)となって生命を営んでいると考えています。したがって、身体だけではなく、その背後にある心理的な側面や精神的な側面にも留意しながら、いのちの全体性を尊重し、施術をおこないます。
2. 身体の機能と構造は相互に関係している。
オステオパシーでは身体の構造(骨組みである筋骨格系、臓器や血管などの構造)が変化することにより、機能(身体の働き、血液の流れ、免疫系、代謝系、神経系など)に影響を与え、逆に機能の変化により身体の構造が変化するというように、構造と機能が相互に関係し合っていると考えます。 構造または機能に働きかけることで人体が再び調和を取り戻すよう、施術を行います。
3.身体は自己調整、自己治癒、健康維持能力を備えている。
A.Tスティルは『人の身体の内部には健康を維持する能力がある。もしこの能力を正しく認識し、正常に保つことができれば病気を予防することも治療することも可能である。』と述べています。 身体・心・精神の調和がうまく取れれば、身体は健康を維持し、様々な環境や状況に適応し、そして病気や症状や体の諸問題も、自然に治癒に向かう能力を潜在的にもっていると考えています。
合理的な治療とは、身体の調和・自己調整および、構造と機能の相互関係に基づくものである。
4.オステオパシーにおいて合理的な施術を行うためには、上記の3つの基礎的原理を踏まえて行う必要があります
病気とは病原体が起こすのではなく、身体の健康維持機能が崩れることにより入り込んだ病原体を処理できなくなり、身体の構造の異常とそれに続く生理的機能の不調和の結果であって、その原因ではないのです。その不調和の秩序を正し調整することで人は自ら健康を取り戻します。 A.Tスティルは『オステオパス(オステオパシー施術者)は症状を扱うのではなく、原因を扱わなければならない。症状は、原因が調整されれば消失する』と述べています。そのナビゲートをすることが、オステオパスの仕事です。